W2×1　【MiyabihimeA】

「サンキュ。利き腕じゃなくっても、結構不便なもんだよな」
　筋や神経は切断していないんだけどな･･･。
　わざと軽い言葉を選んでみる。そうでないと、あの後味の悪さに潰されてしまいそうだった。人前で泣いたのは、記憶にある限り･･･初めてだ。どうしてあんな風に無防備に泣けたのか、自分でもよくわからない。でも後悔しているのとは微妙に違うから･･･それもまた悩みの種だった。
　軽く右手を翳して、包帯の巻き具合を確認するデュオに、ヒイロは大きく溜め息をつく。泣いていたデュオの気持ちをすべて理解することは出来ないが、あれは見なかった振りをしてやるくらいの余裕はあった。
「･･･そう思うのなら、もう手首を切るな」
「はいはい、ご迷惑おかけしました」
　茶化した言葉に、デュオはウィンクまで添えてドアを開ける。ドアに手を掛けたまま振り返って、少し眇めた目でヒイロを見つめた。
　コバルト・ブルーが青紫に陰り、躊躇うように揺れる。不安定なデュオの姿に、ヒイロはぞくりとした。感情の種類はわからないが、どこか深い場所で蠢く気配がする。
　振り切るように、デュオの目を見つめ返した。
「･･デュオ？」
「おやすみ･･･ヒイロ」
　目を逸らし、ドアを後ろ手に閉める。もうこちらを見ようとしないデュオに、ヒイロは残念な気持ちを安堵を同時に感じていた。
　ぱたん。音がして、ドアはデュオの姿を完全に隠す。足音と気配が遠ざかるのを感じながら、ヒイロはほっと緊張を解いた。

　その会話が最後だった。
　翌朝、デュオの姿はもうない。部屋の中は比較的きれいに整頓され、身の回りの物もヒイロが確認した限り、ほとんど残されていた。
　なくなったと断定できるのは、ジャックナイフだけ。自殺用に使ったあのナイフだけを持って、デュオは出て行ってしまったのだ。
　デュオが居ないのに気づき、すぐに確認した結果は･･･最悪の事態だった。よりによってあのナイフ、デュオは再び自殺する気でいるのだろうか？
≪そんなに死にたいなら、邪魔が入らないように一人で死ねば良かったんだ！！≫
　ヒイロは後悔という感情を、初めて実感した。
　病院での、あの言葉がいけなかったのではないか？
　１人で死ねと言ったから、それでデュオが出て行ったのだと、ヒイロは自分を責める。苛立ちと怒りに任せた叫びは、配慮あるものではなかった。感情に流された自分の、ミスだ。
≪死ぬなら、俺がいない場所でにしろ≫
　投げつけたあの言葉は、デュオにしてみれば痛い･･･あのジャックナイフより鋭い刃だったのだ。傷ついてボロボロの精神を、さらに追い詰めて切り裂いた。
　どれだけ追い詰められていたのか、察してやることもなく、あんなに冷たいセリフを吐いて。自分の中では確かな本音だったけれど、もう少し考えてやれた筈だ。
　自殺という行為の意味を、真摯に受け止めてやるべきだった。自分を殺す事が、どれほど勇気と決意を必要とするのかを･･･気づいてやれれば、こんな事態にならなかっただろう。
　突き放すだけしか出来なかった俺は、デュオの傷をさらに抉る。表で血を流す傷より、心の中でじわじわ広がっていた疵を癒してやらなければ･･いけなかったのに。
　一緒に暮らさなければ良かったのか？
　いや･･。
　独りでも、必ずデュオは自殺を図っただろう。あの精神状態で、それ以外の選択ができる余裕は、今のあいつにはない。
　二度も救った事が無駄と思いたくなかった。
　････無駄にしたくない。生きていて欲しいのだ―――誰が犠牲になってもいいから、デュオに生きて隣に居て欲しかった。
　独占欲と呼ばれる感情は、自覚してしまえば醜いだけの想いなのだ。独りよがりで、我が侭な感情ほど激しい性質らしく、想いは勝手に盛り上がる。
　死んでしまえば、すべてが終わる―――魅力的なのは認める。苦しさも、辛さも、痛みも、なくなるのだ。代わりに嘆く人間がいるのに気づかないフリができれば、これ程楽な逃げ道はなかった。
　俺は195年戦争で、死ぬことを求めた。それは戦い抜く自信がなくて、何よりミスが恥ずかしかった。
　平和論者を一掃した責任は、自分の命ひとつで購える軽いものではないが、それでも他に責任の取り方を知らない。
　自爆のチャンスを与えられたとき、ほっとした。
　デュオは今、同じ類の”逃げ”に魅せられている。罵られる痛みから、死によって救われようと望んでいるのだ。
　怖かった。
　初めて、独占欲を自覚するほど好きだと思えたのに･･･デュオ本人は死にたがっている。
　嫌な予感があったにもかかわらず、デュオを失ってしまうかも知れない事実に、ヒイロは必死で堪えるしかない。他にどうしたらいいかを、ヒイロは知らなかった。
　カトルへ連絡し、ヒイロは通信端末の前で俯せていた。顔を隠し、机に上体を伏せた姿勢で、必死に考えを纏める。
　何故、あんなに死にたがるのだろう？
　デュオが自殺する理由―――去年も一昨年も、そんな雰囲気はなかった。それどころか、生き残ることを最大の課題にしていたのだ。
　どんなに切迫した場面でも、口元から笑みを消した事はなかった。少なくとも、俺はそう認識している。
　戦いの中、能天気すぎると思う程に明るい楽天家。それは3年前に出会った頃のデュオそのものだった。
　･････？！
　明るい･･･。
　それ自体がすでに嘘だったとしたら？
　いや、違う。
　確かに3年間、デュオは明るく前向きだった。特に偽りを感じなかったし、自然体だったと思える。
　何がおかしい？
　どこからが偽物なんだ？
　俺がデュオに変化を感じ取ったのは、何時頃だったのか。戦う中で、異変を認めた憶えはなかった。
　静かに深呼吸をする。緊張の連続で疲れた体が、頭痛という形で警告を発していた。
　残っている時間は少ないから、警告は無視する。
　もしも。
　･･･すべて擬態だったら？
　明るい自分を演出する必要があったのだとしたら、話は違ってくる。
　死に近い局面では、必ず生き残ろうとするのだ。銃口を突きつけられた時、動きが取れない時、それでお諦めようとしなかった。
　”死んで英雄より、生き残って死神呼ばわりのがよっぽどマシじゃんか！”
　肩を竦めてにっこり微笑んだのは、デュオ本人だった。告げた言葉も、生き残ることを最優先にしている。
　デュオの中で何が変わったのだろう。
　生きる為にあれほどの意欲を見せたのは、”デュオ・マックスウェル”だけだ。
　ならば、逆はどうだ？
　死にたがり始めたのは、何時だった？　最初に自殺を図ったのは、戦争の後始末が終わる頃で･･･もちろん俺が知る限りでは、だ。
　そこにキーワードがあるのか？！
　深い溜め息を吐き出した。
　俺は何がしたいんだ？！　考えていても埒があかないのに･･･同じ事をぐるぐると考え続けている。
　こんな場合じゃないのに、だ。

　通信端末の隣にある、コンピュータのキーボードにヒイロは指を滑らせた。
　確認しなくてはならない。
　そう思わせる何かがヒイロの中にあった。今まで自分が見て知っていたデュオが嘘だったなど、信じたくない。キーワードを解いて、願いを現実にしたかった。
”オレと一緒に暮らしてくれないか？”
　誘ったのはデュオだ。俺に感情を呼び起こしたのも、想いを植えつけたのも、すべてあいつだった。
　だから―――責任を取れ。
　逃げるなんて、絶対許さない。
　キーボードを叩く音だけが、室内に響き渡った。アクセスする度に、ピッと軽い電子音が混じる。
　キツい表情で、画面を睨みつけた。
　何としても見つけ出す！
　デュオを捜し出し、自殺未遂の理由を確認したかった。デュオ自身の口から、今の不吉で恐ろしい考えを否定して欲しい。
　気持ちは固まってしまえば、もう揺るがなかった。決断は遅かったが、間に合う筈だ。今なら、まだ追いつけない距離じゃない。

　各部へのハッキングは深夜まで続き、その日はついにデュオの行き先の手がかりさえ、見つけることは出来なかった。

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　 To Be Continued....