W2×1　【MiyabihimeA】

　優しい父との時間が過ぎれば、迎えに来た片倉に連れられて離れに戻る。楽しい時間ほど早く終わることを実感しながら、足早に自室へ飛び込んだ。
　朝から大変な一日だった。起きてから町へ降りて、沢山の人に出会って触れあい、最後に襲撃もされたのだ。子供の一日は大人より長いと言うが、梵天丸にとってひと月に相当する濃さだった。
「お疲れになりましたでしょう」
　労いながら差し出された膳に、梵天の表情が曇る。
　食べることは嫌じゃない。民が苦労して育ててくれた食べ物を粗末にしようとも思わない。だが…冷たい膳を前に梵天は箸に手を伸ばすことが出来なかった。
「…梵天丸さま？」
　まだ駄目なのか。僅かに落胆の滲んだ片倉の声がつらい。
　話してしまおうか？　彼なら聞いてくれるかもしれない。
　ずっと手を握っていてくれた。父上と喜多以外に触れてくれる人を知らない梵天の手を、ずっと温かく包んでくれたこの男なら…信用できる、だろうか。
　だが、脳裏に過ぎるのは以前の傅役の言葉。　『毒などない』と言い切り、差し出された膳に口をつけた過去。その後の吐き気と胸の痛みを思い出してしまい、口は言葉を出せずに固まった。
　この男も『毒は入っていない』というのか？　
　本当は梵天が死ぬのを待っているのではないか？
　梵天さえいなければ、片倉はまた父上の傍に戻れる。小姓として仕えていたと聞いた。彼も梵天に構うより、父上の傍がいいと考えるのが普通だ。
「…嫌だ」
　泣きたくなくて唇を噛み締めた。縋りたい心境とは裏腹に、小さな手は拳を作って震えるだけ。何かしたらボロボロ崩れていきそうで、怖くて何も触れない。
　こんな思いをするのはもう、沢山だった。
　どのくらい経ったのか、「…ふぅ」と大きな溜め息が聞こえて、びくりと肩を震わせる。きっともう嫌われた、好かれていた筈もないのに恐怖で体が動かなくなる。
　目の前の膳が少し下げられ、つられるように片倉の手を視線で追った。
「何が嫌なのか、言葉にして伝えてください」
　意外な言葉に、思わず顔をじっくりと見つめてしまう。困ったような顔をしているのは何故なのか。眉を寄せて困惑した顔をしているが、怒った様子はない。
　不思議で自分が顔を上げている自覚すらないまま、片倉と向き合っていた。
　降り積もる沈黙を破ったのは傅役の片倉だった。
「食べないのは、腹が空かないからか？」
　首を横に振る。ほっとした様子で彼は眉間の皺を少しだけ緩めた。
「ならば、俺がいると怖いのか？」
　また首を横に振る。振りながら、突然崩れ始めた男の言葉遣いに気づいた。なんだか距離が近くなった気がして、嫌な感じはない。普段なら「無礼だぞ」と大人の口調を真似て咎める梵天らしくない。
「…まあ、冷たくて不味そうだが」
　膳を用意した者が聞いたら卒倒しそうな言葉を平然と呟くから、反射的に頷いてしまった。
「なんだ、この冷たい飯が気に入らなかったか」
　納得したように笑う顔は、少し怖くて、少し格好良くて、なんだか嬉しくなる。つられて少しだけ表情を緩めたら、「やっと笑ったな」と髪をぽんと叩くように触れられた。
　まるで父上のようだ。
　平気なのかも知れない。この男なら受け止めてくれるのかも…期待が一気に膨らんだ。
「温かい飯なら食えるんだな？」
　確認する片倉が膳を交換するつもりで立ち上がろうとした裾を、軽く指で摘んで引き止める。緊張で喉が張り付いて、ごくりと鳴らして湿らせた。かさかさの唇を舌で舐めて、必死の思いで呟く。
「毒…」
　毒が入っているから食べたくない。
　必死の一言に彼は顔色を変え、畳みに座りなおした。目の前に膳を置いて睨みつける。その表情に怒りのような感情を感じて、梵天は泣き出したくなるのを堪えていた。
　どうしよう…怒らせた。
「この膳に…毒が…。失礼」
　呟いた彼の手がひょいっと煮物に伸び、ひとつ摘んで口に放り込む。噛まずに味を確かめ、取り出した懐紙に包んで吐き出した。咳き込む男の姿に誰か人を呼ぼうと立ち上がりかけた梵天を、温かな手が抱き寄せる。
　ぎゅっと抱きしめられ、背中も肩もすっぽり包まれた。
「辛かっただろう」
　咳き込んだ所為で荒れた喉ががさがさの声で吐き出した一言に、梵天の頬に涙が零れ落ちた。
　
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　 To Be Continued....

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　やっと理解してくれる存在に出会え、梵ちゃん涙！の回です。こういう部分での理解で、急速に近づくんだろうな。気づいてほしかったけど、誰もが見ないフリする場所をやっと認めてもらえた子供は、安心して涙を流せる場所を手に入れた…感じ。