W2×1　【MiyabihimeA】

　普段は事務処理を嫌って逃げるデュオだが、最高に機嫌がいいのと部下に自慢話を聞かせ続けられる事務仕事に不満を述べるでもなく、本当に珍しいことだが真面目にこなしていく。
　さらさらとサインされる書類にきちんと目を通しているか、はなはだ疑問は残るが…大量に溜め込まれるよりマシとシフェルも見ぬフリでやり過ごす。
　何しろ、書類が雪崩れたら生き埋めになりかねない量が見る間に減っていくのだ。感動すら覚えていた。
「でさ、ヒイロが色っぽくて…ちょっと積極的で…でも純真さもあってさ」
　嬉しそうな顔で独り言のように呟く上司へ「素敵ですね」と適当に相槌くが、「そうだろ？　そうだよな、ヒイロは素敵過ぎるんだよ！　まさしく天使！　あ、でも惚れても無駄だぞ、オレのだからな！！　つうか、手を出したら殺すぞ」と長い返事で締めくくられる。
　引きつった笑顔で、シフェルは「彼女、いますからご安心を」と返すのが精一杯だった。
　そんな不毛なやり取りの間にも、順調に書類は減っていく。そしてノックの音と同時に運び込まれる書類…、積み重なった書類は減ったそばから増えた。頭を抱えたシフェルを他所に、惚気エンドレス状態のデュオは再び山を崩し始める。いかにヒイロがキレイで純粋で素敵か…を脳に刻まれるシフェルの溜め息は尽きなかった。
　だが、2つ目の書類の山が半分に減ったあたりで、とうとうデュオの集中力が切れる。
「もう無理…あと３日もヒイロに会えないとか、耐えられない」
　ぐだぐだと机になつきながら文句を並べ始めた。
　こうなったら宥（なだ）め賺（すか）しても仕事はしないだろう。残っている書類をさっと確認し、重要と判断した十数枚を目の前にかざした。
「これだけ片付けてくれたら、あとは自由にしてくれていいですから…」
　溜め息混じりに零された部下からの提案に、デュオの反応は早かった。
「…自由に？」
「はい、帰宅して結構です。ヒイロさんに電話したりしませんから」
　以前に仕事を放り出して逃げた際、ヒイロに電話して叱ってもらったことがあり気にしているのだ。この追加の言葉がデュオのやる気に火をつけた。じっと見つめた書類の一部を横線で消して訂正すると、さっさとすべてに署名を行う。
　もう一度確認して不備がないと判断した上司は無言で書類を机の上に置いた。隣にペンを置き、おもむろに小ぶりのバッグを手にドアへ歩き出す。
「お疲れさん」
「はい、お疲れ様でした」
　シフェルの言葉を最後まで聞かず、デュオは三つ編みを揺らして嬉しそうにドアをくぐった。きっと廊下を浮かれた足取りで歩いて…いや、走っていることだろう。
　優秀な人なんですけどね。
　溜め息交じりで確認した書類は、すべて署名が記された上に訂正箇所まで丁寧に記入されている。普段からこのくらいまじめに仕事をしてくれたら…願っても無理なことと知りながら、シフェルは苦笑いをして書類を手に部屋を出た。

　鼻歌交じりにシャトルの準備を始める。外でなにやら騒いでいる作業員を無視し、デュオは外部スピーカーで警告した。
「はいはい、あと５分で発進だぜ」
　ひらひら手を振って、苦虫を噛み潰した顔の作業員を追い払った。警報が鳴り響く格納庫で、さすがの作業員も命を張ってまで止める気はないらしい。
　コンピュータに打ち込んだルートを確認し、愛しのヒイロがいる月面を目指す。デュオの表情はいたって明るかった。

「え？　デュオさんが？！」
　スイーパーの整備完了直後のシャトルを一機奪って月へ向かったという報告に、シフェルは眩暈を感じて机の上に手をついた。倒れそうな体をかろうじて支え、続けざまに怒鳴り続ける現場の責任者の声に耳を傾ける。
「はい…わかりました。責任はデュオさんに取らせますから…ええ、もちろんです」
　次第に低く怒りに震え始めた声に怯えたのか、一通り不満をぶちまけて満足したのか。スイーパーが管理するシャトル格納庫の担当者は、そっと電話を切った。
「あの人は…どうして騒動を…」
　いや、きっと何か複雑な理由があるに違いない。そう思い込もうとするそばから、検索したシャトルの行き先が「月面」だと知れて頭痛を助長する。間違いなく、恋人に会いにいったのだ。
　自由にしてくれていいとは言いました。帰宅して構わない…とも口にしました。
　だけど…シャトルを無断借用して月面まで遊びに行ってもいいとまでは言っていない。
　携帯を手にさっさと慣れた番号をプッシュする。もちろん電源が切られているのは想定内だった。次は彼が持っている端末の直通回線、シャトルの通信…一通り試した後、シフェルは据わった緑の目を細めて口元に笑みを作る。
「最後の手段ですね」
　最初に諦めた携帯を手に、別の番号へ連絡する。しばらく言葉を交わすと、満足そうに電話を切った。
「逃がしませんよ」
　そう呟いたシフェルは数枚の書類を作成し、上司の許可なく書類を別部署へ回した。愛用の銃、ナイフ、様々な武器を装備して部屋を出る。

　自動操縦のシャトルの中、デュオは大きな欠伸をして目を閉じる。僅かな休憩時間だが、あと２時間くらいは眠れる筈だった。外は相変わらずの冷たい宇宙空間が広がるばかり。どこを見ても風景は一緒だ。
　数時間後にはヒイロに会える。
　表情を和らげて体から力を抜いた。
「おはようございます、よく眠れましたか？」
　人の気配を感じて飛び起きれば、シャトルは停止していた。意味がわからず見回す先に、シフェルやジャックなど数名の部下の姿が見える。状況が理解できずに眉を顰めたデュオの眼前へ、銃口を突きつけたシフェルがひとこと。
「シャトルの無断借用は組織の財産の私的流用ですよ？　見逃せません」
　がくりと肩を落としたデュオの視線の先、行き先を示すディスプレイには大きく地球の位置が示されている。どうやらナビゲーションを使う回線からハッキングされたらしい。行き先変更を指示されたシャトルは、再び地球の周回軌道まで戻ってきていた。
「自由にしていいんだろ？　じゃ、別に月に行こうとオレの自由…」
　不満そうに訴える上司へ、ブロンズ色の髪を掻きあげた部下は「帰宅していいと言ったんです」と容赦なく切り捨てた。
「デュオ、ちゃんと休暇申請しないからだ」
　苦笑いするジャックは多少同情してくれているようだ。デュオに銃を突きつけて犯罪者扱いのシフェルとは大違いだった。
　なんとか隙を突いて逃げようと画策するデュオの額にぴたりと銃口を押し当て、シフェルはイイ笑顔でぴしゃり。
「逃がしませんよ？」
「…すみません」
　思わず謝罪してしまうくらいにはキレている部下を上目遣いに見つめ、デュオは諦めて両手をあげた。
　窓の外には少しばかり痘痕顔のお月様―――どうやら月面は近くて遠い、手の届かない場所らしい。がくりとうな垂れたデュオは、きっちり整備の人間に絞られ、その後シフェル監視の下で書類整理に精を出す３日間を過ごした。

　帰宅したヒイロが、目の下にクマを作ったデュオを居間のソファで発見するのはさらに翌朝のことだった。

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　 The END or....？

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　しっかり叱られたデュオ。キレるとデュオ相手でも容赦しないシフェル。付き合わされたジャックは諦め半分苦笑いです。ヒイロも驚いただろうな、帰宅したらでぉが転がってたらｗｗｗ