W2×1　【MiyabihimeA】

「だから、側にいてくれ！　オレの側にッ！！」
　血を吐くくらいの強い願いを込めた叫びは、ヒイロの心に届いたのだろうか。
　オレの体を押し戻そうとしていたヒイロの動きが、ぴたっと止まった。
　恐る恐る覗き込んだヒイロの頬に、以前見たよりも透き通った涙が伝う。何度見ても、心が締めつけられる程哀しい色を写し取って、ヒイロを彩っていた。
　静かに声も出さず泣くヒイロの髪を、そっと指で梳いてやる。
「・・俺はッ」
「ヒイロ、愛してる」
　3年前に何度となく、繰り返した台詞―――いま、ヒイロに一番必要な言葉の筈。

　デュオの言葉に、虚を突かれた。
　初めての言葉ではない。3年前に口説かれた台詞だ。あの頃とまったく同じ響きの、大切な一言。
　初めて聞いた頃は信じられなかったけれど、ずっと胸の奥にしまっていた懐かしい響きだった。
　胸の痞えが消えていく気がする。
　デュオはすべて知った上で、「他の男に汚された」自分を許し、受け入れるつもりなのだろう。
　わかっていたのだ。本当はずっと、そのことに気づいていた。
　デュオは俺を責めたりしない。不可抗力だったことも、理解してくれている。
　だから、デュオに責められるのが怖かったんじゃなく、
　　　　　ただ―――――、
　　　　　　　　　　デュオの視線が怖かった。
　哀れみを含んでいるだろう、悲しい視線。
　きっと、デュオは俺と同じくらい・・いや、それ以上に傷ついている。それでも、俺を許してくれるのだ。

「デュオ・・」
　俺は何を言ったらいいか。デュオに、どうやってこの自分なりの決断を伝えたらいいのか、わからない。
　だから、この名を呼ぶ響きで気づいて欲しい。
　いつもより甘く掠れた、ベッドの中で呼ぶ時と同じ響き、同じ発音。
「ヒイロ」
　デュオの表情がぱぁっと明るくなって、優しい目で俺を見つめる。
　―――伝わった。
　これ以上言葉を駆使して伝える自信がなかったから、正直ほっとした。
「帰ろうぜ」
　ずっと待っていてくれたデュオに、やっと頷いてやることが出来る。現金なもので、すっかり痛みが落ち着いてしまったらしいデュオに、自分から手を差し出した。
　にっこり笑ったデュオにつられて、涙の乾かない顔で微笑する。やっと作った微かな笑みに、デュオは嬉しそうに手を取った。

　吹き抜ける人工の風が、デュオの髪を煩いくらいにかき乱す。デュオからヒイロへ吹く風に乗って、長い髪がヒイロに届いた。そっと手にとって、軽く握る。
「解いたのか？」
　ヒイロの疑問に、デュオは照れ笑いを浮かべた。
「ああ、願掛けさ。おまえに会えるようにってね」
　それに驚いて、ヒイロは顔を上げてデュオを見つめる。軽くウィンクを投げて、ヒイロを引き寄せた。
「行こうぜ？」
　促されるまま歩きながら、ヒイロは長い髪に指をしっかりと絡ませた。
「・・・どうした？」
　ちょっと髪を引っ張られる感覚に戸惑ったデュオの声が、ヒイロの頭上から降ってきた。
「・・・・・」
　小さな呟きが聞き取れなくて、デュオは10ｃｍ近く低いヒイロに目線を合わせる。
「・・解いてても、似合う・・と思う・・・」
　照れて赤くなったヒイロに、デュオは安らぐ気持ちのまま微笑みをもらした。
　ヒイロがいなくなって、ピリピリしていた自分が信じられない。本当に、昨日まで―――いや、つい数時間前までイライラする気持ちを持て余していたのだ。
　ヒイロを失ったかも知れない危機感からきた、激しい心臓を掻き毟る痛みも、今では遠い過去の記憶でしかなかった。
　―――――ヒイロが隣にいる。
　デュオにとって、何より確かな証だった。
　生きていること、他人を愛していること、自分の愛情を受け止めてもらえる事実。
　もう望むものなどないくらい、デュオの欲は満たされていた。
　隣に、世界中を敵にしても失えないほど愛しい人がいる。
　　　　オレは、―――――これ以上の幸せを知らない。

　やっと微笑を見せ始めたヒイロの心は、無残に引き裂かれた。しかし奴らから取り戻した今は、また笑顔を向けてくれる。
　心の傷が消えた訳ではないけれど、それでも天使は死神の傍らに降りてきてくれた。
　寒さに震える、3年前より細くなった肩をそっと抱き寄せ、デュオは温もりを・・ヒイロを愛おしむ心ごと伝えた。

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　 To Be Continued....