W2×1　【MiyabihimeA】

　戸籍制度がないアメリカでは、身分証明書となるＩＤがすべてだった。
「終わったぞ」
　黒髪の美人が同様の書類を、作りたての報告書と一緒に差し出す。受け取ったレイルが署名漏れがないのをチェックして頷いた。咥えていた煙草を右手に持ち、甘い香りの紫煙を吐き出す。
「ヒイロもお疲れさん」
　ソファに横たわったままの三つ編みの青年、デュオに巻き込まれた形のヒイロだが、周囲が思うより現状に満足していた。家族がないヒイロにとって、過去のＩＤを捨てる不都合はない。何より、一生を懸けて研究してみたい存在を見つけたのだ。隣にいる為に必要な手続きを厭う理由はなかった。
「レイル、煙草買ってきてくれよ・・」
　強請る眼差しに、レイルが不思議そうな顔をする。
「買い物ならヒイロに頼めばいいじゃないか」
　脱法ドラッグの神酒（ソーマ）だが、別に普通の店で購入できる材料しか使われていない。調合が特殊なだけで、そのくらいデュオなら問題ないだろう。レイルに強請る理由が分からず、短い赤毛を掻き乱しながら首を傾げた。
「それがさ・・・・」
　まだ寝たきりに近いデュオは、包帯の巻かれた手で三つ編みの穂先を弄る。拗ねた子供みたいな仕草で唇を尖らせた。
「・・ヒイロが煙草くれない・・」
「禁煙しろ」
　一言で切って捨てられ、叱られた犬さながら尻尾を巻いたデュオの眉尻が下がる。
「禁煙？」
「そうだ、同じ部屋に篭る俺が副流煙を吸う羽目になるからな」
　優秀な脳細胞に百害あって一利なしだ。
　言い切ったヒイロに睨まれ、咥えていた煙草を反射的に携帯灰皿に押し付けた。
「・・いつ別行動になるの？」
　煙草が吸いたいと目で訴えるデュオへ、視線を泳がせたレイルが不明瞭な返事を寄越す。
「えっと・・・・まぁ、そのうち・・・」
「・・・・・・・・もしかして」
　嫌な予感に顔を引きつらせたデュオに向かい、赤毛をくしゃりと握ったレイルが愛想笑いを浮かべた。
「その”まさか”なんだ。お前と組める頭脳の持ち主が他にいなくて・・・」
　ヒイロと組む事になると思う。
　気の毒そうに告げるレイルも、デュオ同様ヘビースモーカーだ。吸えない辛さを知っているだけに、同情の色を浮かべた薄氷色の瞳が向けられた。だが、同情なんて役に立たない。
「・・あっそ・・・・・」
　もう他の返答は見つからなかった。
「デュオ、包帯を変える時間だ」
　包帯と消毒薬、湿布などを手際よく用意しているヒイロの口元が笑みを刻む。
「・・・・・・・」
　引き攣った顔で笑みを作り、助けを求めようとしたレイルを見れば、彼はそそくさと退散を決め込んでいた。机の上の書類を掴むと、素早くドアに手を掛ける。
「それじゃ、お大事に」
　薄情な一言を残し部屋を出たレイルの耳に届いたのは、激痛に悲鳴を上げるデュオの哀れな叫びだった。どんな治療をされているのか、ちゃんと治るか興味はあるが・・・レイルもまだ命が惜しい。
「すまない、デュオ・・・死ぬなよ」
　両手を合わせてドアを拝み、足早に遠ざかった。


　完全骨折４箇所の肋骨と剥離骨折の右足首の湿布を交換し、ナイフを握って切れた左手のひらや刃を突き立てられた右手を丁寧に消毒して包帯を巻き直す。右肩の銃創は弾を摘出した痕が化膿した為、より重点的に消毒を施した。その上で、小さな傷にも塗り薬を塗ってやる。
　嫌がって逃げるデュオを押さえつけての治療が終わると、ヒイロも肩で息をしていた。
「大人しくしていればいいものを・・」
　子供じゃあるまいし、逃げようとする男に吐き捨てる。
　青紫の稀有な瞳を潤ませ、抗議しようと口を開いたデュオの唇をキスで塞いだ。ここ数日、この部屋で２人きりで過ごすようになって、キスは新たな習慣となっている。告白もなく、前触れもなく、ただ唇を合わせて貪る行為は、意外とヒイロも気に入っていた。
「・・んっ・・・」
　甘い嬌声が漏れ、熱い吐息が肌を擽る。
「まだ・・煙草が欲しいか？」
　俺のキスがあるのに？
　確信犯の笑みで問いかけるヒイロへ、デュオは包帯だらけの両手を僅かに持ち上げて「降参」と呟いた。破顔したデュオが、まだ目の前で赤く色づく唇に音を立てて接吻ける。
「頑張って禁煙するからさ・・・」
「褒美にキスをやろう」
「キス以上を求めたら？」
「お前次第だな・・・」
　恋人同士の繰言のような会話は、隔離された空間を密やかに震わせた。
　
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　 NEXT....

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　綾雅的には、「めでたしめでたし」で終了です。
　皆様はいかがでしたか？　ここまで長くなる予定ではなくて、当初は12くらいで終わりにする予定でした。長くなるのは綾雅が楽しんでいた証拠かもしれません。ただ・・・推理小説にはなりませんでした。何しろ、複雑なトリックを考える脳みそが不足してるもんで・・・汗；