W2×1　【MiyabihimeA】

　自分のオフィスにつくなり、秘書であるシフェルが無言で書類を突きつける。昨日のキャンセルで、相手先から厭味でも言われたのだろう。不機嫌そうだった顔も、遠慮がちに入ってきたヒイロを見た途端に変わった。
「えっと・・・デュオさん。こちらが被害者の方ですか？」
「ああ・・記憶失くしちゃって、しばらくオレが面倒見るから」
　いつの間にか決定事になっていたらしい。ヒイロが居心地悪いそうに目を伏せると、察したシフェルが緑の瞳を和らげた。会社でトップのデュオに近づく人間は、大抵が彼を陥れることを目的とし、彼のもつ情報を盗もうとする輩だ。そんな部署に配置されてから、シフェルはかなり人を見る目が養われてきた。
　彼は大丈夫ですね。
　目配せの意味を正確に受け取ったデュオが頷くのを待たず、シフェルはソファへヒイロを導いた。目の前にコーヒーを用意し、砂糖やミルクも並べていく。
「デュオさんの秘書で、シフェルと申します。しばらくの間、よろしくお願いします」
　丁寧な口調は仕事上ではもちろん、普段も彼の口癖のようになっている。やたらと整った顔立ちだが、右頬に刃物でついたのか・・目立つ傷があった。ブロンズ色の髪を長くしているのは、傷を目立たせない目的もあるのだろう。
「こちらこそ・・・・・・ヒイロ・ユイです」
　まだ慣れない名前を口にした時の間に、シフェルは一瞬だけ表情を翳らせた。すぐに笑顔で茶菓子も用意する。差し出されたロシア・ケーキは色鮮やかで、甘党の自覚が出たヒイロは目を輝かせた。
　手際よくヒイロに相対する秘書を横目に、デュオは示された書類に目を通していた。商談を１日伸ばしただけなのに、妙に強気に出る相手の態度が癇に障る。いくつか付け加えられた条件は、デュオが渋面になるのに十分過ぎた。
「・・・・ったく、気に入らねぇな・・・」
　口の中で呟いて、目を眇める。こちらが弱みを見せたとでも勘違いしたらしい。だが、あくまでも主導権はこちらが握っているのだ、そう理解させる必要があった。
「シフェル」
「はい」
　何を言われるか、５年にも渡る付き合いですでに察知している秘書が、苦笑しながら振り返る。
「コイツとの取引はキャンセルだ。そう突きつけてやれ」
「理由はどうしますか？」
「そうだな・・・・オレが臍を曲げたとでも言っとけ。何を騒いでも無視して構わない」
「・・・・承知しました」
　本日の予定を尋ねるシフェルに、デュオは次々と指示を出していく。細かな取引相手の癖まで指摘するデュオの記憶力もとんでもないレベルだが、それを口頭での復唱と確認だけで済ませたシフェルも、高い能力を誇る。
「あと、ヒイロの件だけど・・・・カード会社は素直に答えないよなぁ・・」
　本人確認が引っかかってしまう。何しろ生年月日を聞かれても、住所を聞かれても・・ヒイロは自分の個人情報を何も記憶していないのだから。答えられる筈がなかった。
　しかし病院の診断書をつけて問い合わせるとしたら、それは大変な時間と労力を必要とする。
「では、弁護士をお呼びになりますか？」
「・・・・・面倒臭ぇから、オレが何とかするわ」
「私は聞かなかったことにします」
「そうして」
　ひらひらと手を振って、物騒な会話は終了した。
　赤い飾りのついたケーキを食べ終え、次はどれにしようか迷っていたヒイロの隣に腰掛ける。残っているのはホワイトチョコレートの上に緑の葉のジェリーがついた物と、チョコの上にアーモンドが飾られた物だ。ロシアケーキは通常のケーキから想像するものと違い、硬いクッキーの上に飾りを施した手のひら大の丸や四角の焼き菓子である。甘くて見た目も華やかでキレイなことに加え、日持ちするのが特徴で会社では接客用茶菓子として重宝していた。
「ヒイロ・・・個人情報の照会に時間かかりそうだから、オレがハックしちゃうけど・・・大丈夫？」
「・・・何がだ？」
「いや、一応ヒイロの情報じゃん。本人の承諾くらい得ておこうかな？と思って」
　にっこり笑うデュオは、きっと承諾がなくても行うのだろう。だったら尋ねなくてもいいのに・・・・。それにカード会社の信用情報や個人情報など、調べられても高が知れている。
「構わない」
　即答したヒイロに驚きながらも、シフェルに持ってこさせた端末の電源を入れる。起動した画面から、特殊なソフトをいくつか展開させて・・・デュオはネットの海に潜った。
　楽しそうにセキュリティホールから進入する手並みは、ゲームの攻略を見ているようだ。アーモンド付のチョコレートケーキを手にしたヒイロも、隣で食い入るように見つめる。食べる口元がたまに止まり、時折デュオの横顔を見てはディスプレイに視線を戻す繰り返しだった。
「・・・慣れてるんだな」
「ああ、ハック行為？」
　こくりと頷いたヒイロに一瞬だけ視線を預け、デュオはすぐにまた端末に集中した。いくら日本国内のセキュリティがＮＡＳＡなどに比べて低レベルとはいえ、あまり油断もしていられない。
「・・・プロだからね」
　プロ？　不思議そうなヒイロに、新しいコーヒーを差し出しながらシフェルが口を開いた。ここまで話すデュオは珍しく、それだけこの黒髪の青年を気に入っている証拠だろう。
「彼の仕事はハッキング行為により得られた情報を、ライバル他社へ流す仕事です。もちろん、それだけではありません。技術を流用したセキュリティソフトも開発していまして、そちらの特許料だけでもかなりの財産ですよ」
　用意した砂糖とミルクが減った分をを足してやりながら、シフェルはブロンズ色の前髪を掻き上げた。彼の顔に浮かぶ感情は、優秀な上司を誇っているようであり・・・子供が親に憧れるそれにも似ている。
「彼がこの会社の代表であり、ビルのオーナーです」
「おっと・・・・出たぞ！」
　途中で遮るように声を上げたデュオの目が、責めるようにシフェルへ眇められる。しかし、それを照れ隠しだと気づいているシフェルは、何食わぬ顔でデュオへもコーヒーを差し出した。

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　 To Be Continued....

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　あれれ？　こんな予定じゃなかったのに・・・普通の会社社長くらいにしようと思ったのに、どうしてハッキングしちゃってるの？？？　ま、でもデュオだし・・・デヒに番狂わせはつき物（イヤァ・・・・・
　諦めて「予定は未定」の道を突き進むとしましょうか（苦笑